お正月の家族間コミュニケーションについて考える

お正月に家族で集まると、毎回何を話せばよいのかよく分からず困るということが起きる。元々、会話の多い家族ではないし、各家庭でやることもあるので、結果として、お正月以外で集まることがない。そして、Lineなどでのコミュニケーションも頻繁にあるわけでもない。
それに加えて、仕事もばらばらだし、家族を取り巻く環境だって違う。家族、ということ以外の共通点がほぼないので、何を話したらいいのかわからず困る。

楽しかったことや自分や家族が達成した何かを話そうとすれば自慢に聞こえそうだし、家族がその点で何かコンプレックスに感じることがあるかもしれないので、話しづらい。もちろん友人との間でも自慢に取られるかもしれない内容は気を付けて話さないといけない。ただ家族だと、家族というだけで関係が近い感じがして、余計に気を付けないといけない気がする。

仕事面でも話すことは難しい。当然仕事の詳細について話し込むことはできない。それに、専門的なことをしていれば、その内容を理解してもらうための前提を長々話さないといけない(しかも専門外の人たち)ので、ざっくりとした話しかできないので、大して面白くもない。

共通の知り合いの話ならできるかというと、そんな人はいないし、親戚はいるものの、その人たちの近況なんて分からないので話すことは難しい。

子どもが小さい頃は、子どもの様子を見ていたら場は和むし、その親は子どもの世話をしていれば良かったので会話に加わらずに済んだ。しかし、子どもが大きくなったら、子どものお世話はなくなるし、見て和むということもない。むしろ大きくなったからこそ久しぶりに会う家族とのコミュニケーションが難しく、余計会話がなくなる方向である。

そんな状況で家族の中では何を話せばよいのだろうか。まあ、無理に話さなくてもよいのかもしれないが。。

会話の目的を振り返ると、以下の3つがあるように思える。

  • 意思の伝達
  • 情報の伝達
  • 娯楽

意思の伝達は、あれをしたい、これをしたい、こう思う、といった、自分がどう考えているかを伝えるもの。情報の伝達は、事実を伝えるもの、報連相で話す内容を想像すると分かりやすい。娯楽は、お互いに何か楽しかったなどを話し、特に明確な目的もなく話すものだろうか。

仕事の同僚では、情報の伝達が第1に来て、意思の伝達、娯楽と続くだろう。友人であれば、娯楽が第1であり情報・意思の伝達が続くだろうか。家族の場合も、友人の場合に近い気がする。

友人の場合でも久しぶりに会った場合、何から話したものか、という感じにはなるのだが、どうなの最近は?、忙しいよ~、とかその辺から話し始めて、徐々に盛り上がっていく気がする。家族の場合もそういう感じで始めればいいのだろうけど、そうはいかない気がする。

なぜだろうか。

なぜだろうか、と考えると年齢が違う、上下関係があるというのがある気がする。友人の場合は基本的に同年代、違うとしてもフラットな関係なのに対して、家族の場合は、親子・兄弟という上下の関係性が、友人と同様の流れを阻んでいるような気がする。そして、家族だからこそ気を遣うことがなく話を盛り上げようというモチベーションがないから、余計に盛り上がらないのかもしれない。

家族のコミュニケーションで必ずしも盛り上がる必要はないとは思うのだが、気まずいのは嫌なのである。かといって頑張って盛り上げようとしてるわけでもない。身勝手な話だとは思うものの、気まずいのは嫌なのである。

テレビを見ると家族で盛り上がっている場面があったりしてすごいなあ、と思うのだが、常日頃コミュニケーションが取れているのだろうか。テレビの撮影が入っているから、たまたまそうなだけで普段は会話が少なかったりするのだろうか。気になるところである。

解決策は全く思いつかないのだが、家族はその場でいるだけで良いのだということにして、気長に考えていきたい。

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